【赤い薔薇と白い薔薇・愛人と妻】

 「彼の人生には二人の女がいた。一人は赤いバラで、もう一人は白いバラだと彼は喩えた。赤いバラは情熱的な愛人で、白いバラは純潔な妻だという。
 どの男も、人生一度にはこうした二人の女に出会ったことがあるのではないだろうか。赤いバラを嫁にすれば、時が経つにつれて、赤いのはまるで壁についた一抹の蚊の血のようになり、白いのが、まだ窓ぎわを照らす冴えた月だ。でも、もし白いバラと結婚したら、時が流れると、白いのはだんだん服についたご飯粒のようになり、赤いのは、まだ心の上にできた赤いほくろのようだ。」

-----張愛玲(チョウ アイレイ) 短編小説 『赤い薔薇と白い薔薇』の冒頭から引用

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 張愛玲は1920年に生まれ、その稀な才能と哀れな人生にだれも嘆くような女性の作家です。7歳から小説を創作し始め、12歳から雑誌で作品を連載、23歳から相次いで人気作を作り出して、その中の多くは映画やドラマに実写化されました。今回引用した『赤い薔薇と白い薔薇』を創作した愛玲は、当時たった24歳だけでした。
 張愛玲の親は、どちらも名門の家族からの出身でしたが、愛玲に幸せな家庭を与えてあげませんでした。日々きつくなる家計、絶えない夫婦喧嘩、この家で生まれ育った愛玲は、誰からも愛情を一つ得ることができませんでした。
 惨めな家庭から目を逸らそうと、愛玲は優秀な成績でロンドン大学に合格しました。しかし、当時の戦乱のせいで香港大学に転入することになりました。その後は創作の才能を発揮して20代で人気を広く博したが、結婚してから2年後に夫に裏切られ、アメリカに転住し、孤独な晩年を送っていました。最後は、一人で窮屈なアパートで息が止まりました。
 でも、彼女の小説で吐いた名言は、その後頻繫に引用され、もはや中国人の言語文化の一部となっているといえます。

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 愛玲は誇り高き天才作家ではなく、戦乱の世の中で、ただ愛を欲しがり、幸せに恵まれない弱しい女子だけでした。
 神は彼女にプレゼントを与えた時は、才能以外にしみったれでした。
 

张爱玲

 張愛玲は魯迅との年代が近いが、日本における知名度魯迅には及びません。その原因は恐らく翻訳の難しさだ。愛玲の文章は、中国の言語と文化の特徴に深く根付いて生えた花だ。その花を安易に中国の土壌から移植しようと枯れやすいものです。
 それにしても力ずくで、感情とユーモアに富んでいて、言葉遣いが美しい愛玲の文章を訳してみたいです。美しい花を、もっと多くの人に見せたいものです。
 これからも、張愛玲が綴った有名な文章を翻訳し、随時更新して参ります。

 最後まで読んでいただいて、どうもありがとうございました。