【赤い薔薇と白い薔薇】②20代天才作家の名作

はじめ
 前回の文章に引き続き、女性の天才作家である張愛玲が24歳の時に書いた名作『赤い薔薇と白い薔薇』の抜粋の翻訳を続けたいと思います。
 張愛玲の小説は日本語訳書がとても少ないです。それは、彼女の文章の美しさは中国語に根付いたものなので、外国語に翻訳するとその美しさが消えてしまうからだという噂があります。それにしても挑戦して訳してみたいです。何と言っても、愛玲の女性の感情に関する細やかな描写と、ユーモアを交えた文章を、もっと多くの読者に楽しんでもらいたいからです。

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抜粋:[日本語訳]
 ‐苦学生にとって、外国に留学している間に何かのいいのもが見られるわけではない。振保の記憶におけるイギリスには、地下の電車、水でゆでたキャベツ、空白で霧のような飢餓・欲望の以外に何もなかった。

 ‐振保は奥さんがそのスプーンで盛られた、うるしのようなこってりした白い液体を見て、眉をひそめた。「钙乳ですか。」と尋ねた。「まずいでしょう。わたしも飲んだことあります。」
 奥さんはそのスプーンの中の物を一気に飲み干して、しばらくの間何も言えずに黙り込んだ。ようやく何かをぐっと飲み込んだら、一言を吐いた:「カベを飲んでたみたい。」
振保は笑った。「奥様の言葉は、いつも一つ一つずっしりとインパクトがありますね。」
(注*钙乳は牛乳を濃縮してカルシウムが豊富な栄養食品の一種である)

‐振保は奥さんから離れて、バルコニーに行って一人で悩んだ。ロゼと別れたばかりなのに、彼女はまた他人の妻の体を借りてよみがえっちゃたようだ。しかも、この女(奥さん)は、ロゼよりも魅力的だった。

‐振保はバルコニーのレールに腰を掛けて、微笑みながら娇蕊(前述の奥さん☝)に聞いた:「あんたは美男子、すきではないのか。」
 娇蕊は答えた:「いいえ。男は美しくなってはいけないもんだ。男は女よりも甘えん坊になりやすいんだ。」

‐「免許を取ったらあたしも一台買うわ」と、車に乗っている娇蕊は大げさに言った。--買う?彼女の夫に買ってもらうの?振保の胸が塞がったように、彼女のこの一言をずっと消化できなかった。

‐笃保(振保の弟)はタバコを叩いて、ベテランのような口調で言った:
「老いた。彼女、ずいぶん老いたね。」このたった一言でこの女のことをおしまいしたようだ。




 抜粋(同上):[中国語のオリジナル]
-    对于苦学生来说在国外是看不到什么的,振保的回忆中英国只限于地底电车,白煮卷心菜,空白的雾,饿,馋。
-    振保看见那匙子里白漆似的厚重液体,不觉皱眉道:“这是钙乳么?我吃过,好难吃。”王太太灌下一勺子,半晌说不出话来,吞了口水,方道:“就像喝墙似的!”振保又笑了起来:“王太太说话,一句是一句,真够劲道!”
-    振保踱到阳台,心中着实烦恼,才同玫瑰诀别了,她又借尸还魂,而且又做了人家的妻。而且这个女人比玫瑰更有程度了(更有魅力了)
-    振保倚着阑干笑道:“你不喜欢美男子?”娇蕊道:“男子美不得。男人比女人还要禁不起惯。”
-    娇蕊总是搭他们的车,还打算跟他学着开,扬言:“等我学会了我也买一部。”---叫世洪来买吗?这句话振保听了却是停在心口不大消化的。
-    笃保磕了磕香烟,做出有经验的男子的口吻,道:“老了,老得多了。”仿佛就结束了这女人。

  次回は、『赤い薔薇と白い薔薇』のあらすじをお紹介していきます。どうぞよろしくお願いいたします。🌹

【赤い薔薇と白い薔薇・愛人と妻】

 「彼の人生には二人の女がいた。一人は赤いバラで、もう一人は白いバラだと彼は喩えた。赤いバラは情熱的な愛人で、白いバラは純潔な妻だという。
 どの男も、人生一度にはこうした二人の女に出会ったことがあるのではないだろうか。赤いバラを嫁にすれば、時が経つにつれて、赤いのはまるで壁についた一抹の蚊の血のようになり、白いのが、まだ窓ぎわを照らす冴えた月だ。でも、もし白いバラと結婚したら、時が流れると、白いのはだんだん服についたご飯粒のようになり、赤いのは、まだ心の上にできた赤いほくろのようだ。」

-----張愛玲(チョウ アイレイ) 短編小説 『赤い薔薇と白い薔薇』の冒頭から引用

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 張愛玲は1920年に生まれ、その稀な才能と哀れな人生にだれも嘆くような女性の作家です。7歳から小説を創作し始め、12歳から雑誌で作品を連載、23歳から相次いで人気作を作り出して、その中の多くは映画やドラマに実写化されました。今回引用した『赤い薔薇と白い薔薇』を創作した愛玲は、当時たった24歳だけでした。
 張愛玲の親は、どちらも名門の家族からの出身でしたが、愛玲に幸せな家庭を与えてあげませんでした。日々きつくなる家計、絶えない夫婦喧嘩、この家で生まれ育った愛玲は、誰からも愛情を一つ得ることができませんでした。
 惨めな家庭から目を逸らそうと、愛玲は優秀な成績でロンドン大学に合格しました。しかし、当時の戦乱のせいで香港大学に転入することになりました。その後は創作の才能を発揮して20代で人気を広く博したが、結婚してから2年後に夫に裏切られ、アメリカに転住し、孤独な晩年を送っていました。最後は、一人で窮屈なアパートで息が止まりました。
 でも、彼女の小説で吐いた名言は、その後頻繫に引用され、もはや中国人の言語文化の一部となっているといえます。

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 愛玲は誇り高き天才作家ではなく、戦乱の世の中で、ただ愛を欲しがり、幸せに恵まれない弱しい女子だけでした。
 神は彼女にプレゼントを与えた時は、才能以外にしみったれでした。
 

张爱玲

 張愛玲は魯迅との年代が近いが、日本における知名度魯迅には及びません。その原因は恐らく翻訳の難しさだ。愛玲の文章は、中国の言語と文化の特徴に深く根付いて生えた花だ。その花を安易に中国の土壌から移植しようと枯れやすいものです。
 それにしても力ずくで、感情とユーモアに富んでいて、言葉遣いが美しい愛玲の文章を訳してみたいです。美しい花を、もっと多くの人に見せたいものです。
 これからも、張愛玲が綴った有名な文章を翻訳し、随時更新して参ります。

 最後まで読んでいただいて、どうもありがとうございました。

月を食べたい🌕

 夜8時、車に乗って外を眺めたら、夜空に白くてまん丸い月が低く吊るされていた。

 車は速く運転し、その白い月も後をすばやく追いかけてきていた。森の中や建物の後ろをシュッとすり抜けて追ってきた月を見て、突然

 「白くて丸い月、何でこんなにおいしくそうに見えてるのだろう」と、一瞬に思った。

 そう思う人は、わたしだけじゃないみたいね。

 中国も日本も、月になぞった食べ物を月見の時にお供えする伝統があるんだね。

 日本なら、月のような丸っこい月見団子があり;中国なら、円状でずっしりした月餅がある。

 両者がそれぞれ、冴えた白い満月、黄色っぽくてパンの色がする満月を見立てて、どちらも食欲をそそるよね。

 月餅の場合、小麦粉、油と砂糖を混ぜてこんがりと焼いた皮の中に、甘くてコクのある餡がずっしり入っている。なつめ餡、黒胡麻餡、桃仁餡(あんこにくるみ)、伍仁百果(ナッツ類とドライフルーツ)、ハス(白あんと蓮の甘露煮)など、数えきれないほど種類があって、どちらもやみつきになる。

 そして、もう一つ月に関連する食べ物を思い浮かべた---月亮饃(月パン)

 小麦粉で作った、もっちりで平たく円形のパン。白くてツルッとした表面が明るく冴えた満月を連想させるため月の名前がついた。その中に調理した野菜たちやお肉をはみ出すほどたっぷり入れて食べる。それが、農業で盛んできた中国河南省の風味だ。

 白い、或は黄色いで丸っこい、夜空にある満月はなぜか人にいろんな思いをさせる。

 今のわたしは、ほんとに月を食べられる天狗のことを羨ましく思ってならないのだ。

幸せな夜ご飯🤍中国大連の家庭料理🌊

 初めて大連に来て、臨海の都市の独自の美しさとおばさんとおじさんの温かいもてなしに感動しました。

 初日は大連のきれいな町を回り、うちに戻ったらおばさんは豪華な夜ご飯を作ってくれました。

 四人食で5菜1汁で、おいしいお野菜と魚がもりもりでした。



 晩ごはんの主役は、カレイの煮込みでした。調理される途中からいい匂いが部屋中に漂い、みんなが実際に味わってみたら、ネギや生姜と一緒にぐずぐずと煮込まれたカレイ旨みに感動して、思わず「おいしい!」と言いました。

 実際の調理方法は、思うより複雑ではありません。油を入れたフライパンに生姜とネギのスライス、花椒(カショウ)を入れて、鍋からスッーと香りがしたらカレイの塊を入れて、片面にこんがりした色が付くまで痛めて、水を入れて30ぐらいに煮込んだら出来上がります。

ちなみに隣の皿に盛れた三角形の茶色のお肉は、味づけ豚レバーです。鉄分たっぷりおいしいです。

 次は大好物の空芯菜のにんにく炒めです。作りたての時は食欲をそそる、ピカピカのあぶらを交えた鮮やか緑でしたが、間もなく酸化して暗くなるのが残念でした。

もうちょっと上手に撮ればいいなぁ。

 そしてこちらの黒っぽい料理は、好きな中国特色のきくらげと紫玉ねぎの酸味サラダです。加熱済みで冷水にさらしたきくらげは、とてもプルプルでした。それを生の紫玉ねぎスライスと混ぜて、パクチー、ニンニクおろしと陳酢(中華黒酢)で作ったドレシングをかけたら、酸味でサッパリした料理が出来上がります。この種のきくらげは日本でなかなか買えなくて(生の方はすごく高いです(T-T))留学する間でいつも恋しくなっていました。

 

 味づけの豚頭肉きゅうりの和え物です。豚頭肉は他の肉より引き締まっていて、コリコリした噛み応えと、噛めば噛むほど旨みが出る味わいがあります。そのため、中国では人気の冷菜になっています。

 最後は卵と糸瓜(ヘチマ)のスープです。糸瓜は夏の旬の野菜で、食物繊維とビタミンが豊富で、胃袋を温めてくれました。

 

 最後に、白ごはんは〜?と、皆さんは言いたくなりますよね。実は、米は炊いていませんでした。中国のおもてなしは、豪華な料理ほど、ご飯は出ないのです。多種多様なおかずだけでお腹がいっぱいになるという感じです。

ただ、炭水化物として、甘くてねばねばの蒸しとうもろこしがありました。

 

 このように、美味しくてカラダに優しい料理を食べることができて幸せでした。作ってくれたおばさんに感謝します!

 

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました♪

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ヒトはなぜ物語が好きなのか

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物語と言えば、小説のみならず、ドラマや映画、アニメ、伝記などがありますね。
人々は子どもの時から物語をほしがっています。それは、子供にとって物語は人間関係を学ぶ手段であるからと言われています。

でも、我々は大人になっても物語が好きです。それは、子ども時代とは変わらず学習が目的なのでしょうか。
いやや、ドラマを見る私は別に勉強のためじゃ…
と、いいそうになりますね。
物語が好きな理由は、自分の狭い世界から足を踏み出したいからのではないでしょうか。人間は狭い部屋にずっと閉じ込めると息苦しくなるように、自分の人生だけに目を凝らすと、息詰まりそうになります。

そこで物語は、ふ~と私たちをはるか遠い世界へ、時代へ連れていきます。また、遠いところに行かなくても、主人公の身になって新しい人生を体験することもできます。

人は悲劇が好きな理由は、自分の人生の方ははまだマシだって、ホッとした感じが得られるからだと言われます。それなら、喜劇やハッピーエンディングが好きなのは、希望を与えられてほしいからのではないでしょうか。
また、他人の物語を読むことで、こんなに世界の広いんだと、自分の悩みの些細さに気づき、気持ちが落ち着くようになります

そして、人生で惑う時に、好きなヒーローや気に入る人物は、自分のカウンセラーにもなってくれます。彼らなら、このような場合はどうするか。こう考えることで行動の方向性が分かったり、励まされた気分になったりします。
有名な自己啓発作家のナポレオン・ヒルは、9名もの想像上のカウンセラーを持ち、彼らは自分が困難に出会う時に「相談」に乗ってくれるそうです。私も、留学で苦しいと感じる時に、いつま『風と共に去りぬ』のヒロインのスカーレットのことを思い浮かべ、再び前向きの気持ちになります。

小さい頃からはフィクションや伝記が大好きでした。小遣いで小説や漫画を本棚にずっしり埋めていました。自分の人生は平凡で面白くない。辛い。飽きている。そんな時こそ、物語を読みたくなります。
学習は元々の目的ではなかったが、いい物語を読むうちに、自然と人間関係への理解が深まります。
世の中には色々な人がいて、それぞれの生い立ちが違っていることが分かって初めて、周囲の人々の行動と、世の中の出来事理解できるようになります。そこで、同情する力、包容する力も育てられます。
 
また、良い物語であるかどうかは、ストーリーの面白さだけが物差しではありません。生き生きとした人物像の描写や、人の心理に対する興味深い観察があるかどうかも重要な要素になります。それらの要素から、作者が人間と社会に対する見解、観察の深さが反映されます。

このように、我々は好奇心のために物語を読んでいきますが、結局人間社会への学習になります。そのため、これからも良い物語、たくさん読んでいきたいものです。